※パラレル設定
夜の底を滑っていく黒いリムジン。
ツナこと沢田綱吉は後部座席にぐったりと沈み込み、今晩何度目かの溜息を吐いた。
そのままぼんやりと窓の外を見遣る。ライトアップされたコロッセオに差し掛かった辺りだ。
午前1時。ローマの街は眠ることを知らない。
昼間の活気とはまた違っているが、人通りは絶えることがなかった。
等間隔に立っている街灯が、通りを柔らかな光で包み込む。
この幻想的な風景を目にしておきながら、ツナは飽き飽きした気分で大きなあくびをした。
「眠そうだな。だらしねーぞ、ツナ」
ツナの隣りに座る小さな影――リボーンは淡々と言った。
赤ん坊ながら超一流のヒットマンであり、現在ツナの家庭教師を務めている。
だらしないと言われ、ツナはムッとしてリボーンを睨みつけた。
「仕方ないだろ! こっちに来て2週間ずっと、お前に毎日あちこち連れまわされて
もうヘトヘトなんだよ!」
リボーンがツナの前に現れたのは、約1ヶ月前。
何だかよく分からないうちにマフィア・ボンゴレファミリーを継ぐ破目になり、
別れを惜しみつつ日本を離れイタリアに飛んだ。
やっと着いたと思えば、休む間もなく今度は国中を回り続ける。嫌気も差すというものだ。
「こうやってイタリアの要所を覚えるんだぞ。この国はお前のシマだからな」
リボーンが言うには、これもマフィア修行の一環なのだ。純粋な観光でない点が悲しい。
「へいへい……今日はもう帰るだけだよな?」
自然、口調は渋々になるけれども、実のところツナはある程度達観していた。
不平なら山ほどあるが、いちいち言っても仕方がない。
日本を離れるときに覚悟は決めたんだ。ツナはそう自分に言い聞かせた。
裏社会で生きる決意、それはツナにとって、ある種の決別を意味していた。
リムジンは着々と家路を急ぐ。
後継者とはいえ修行中の身だ。ツナが生活の基盤を置くのは、ボンゴレ本部とは離れた
独自のアジトである。
共に暮らす仲間は数名。その中には、リボーンの愛人であるビアンキが含まれる。
なまめかしい美女なのだが、特技は毒殺。味方からも恐れられる殺し屋だ。
その彼女が、最近何故かヒステリー状態だった。怖いことこの上ない。
(ビアンキのイライラの原因って、リボーンじゃないのか……?)
恋愛関係のこじれは、大きなストレスになる。
プライベートをとやかく言うのは気が引けたが、ツナは思いきって口を開いた。
「なあリボーン……お前、ビアンキと何かあったのか?」
リボーンはツナの言わんとすることを察したらしく、ほんの少しだが眉をひそめた。
「アイツがイライラしてるのは俺のせいじゃねーぞ。弟の家出のせいだ」
「家出!?」
不穏な単語を耳にして、ツナは思わず変な声を上げた。
家出なんて、その弟に何が起こったのだろう。見も知らぬ少年を思い、不安が胸をよぎる。
「実家からビアンキに連絡が入ったんだ。数日前に書置きを残していなくなったらしい」
「それって……じゃあビアンキ、心配だろうな……」
ビアンキの父は、自ら捜索隊を出したという。警察に任せるわけにはいかないからだ。
(ごめんビアンキ、怖いなんて思って……)
ツナは心の中でビアンキに謝った。
彼女はこのところ長時間外出しては、疲れきった様子で帰るのを繰り返していた。
失踪した弟を探しているなんて、思ってもみなかった。
早く見つかるといいが。ツナは軽く目を閉じ、再びシートに身を沈めた。
「……!」
突然、リボーンが何かを察知したかのように顔を上げ、素早く窓の外に目を走らせた。
「どうかしたのか?」
「この先の裏路地で、野郎共がガキに絡んでるぞ」
そう言われてツナも外を見たが、何も見えないし聞こえもしない。
視覚、聴覚その他あらゆる身体能力において、リボーンは常人離れしているのだ。
「オイ、ここで停車しろ」
リボーンは運転手に命じた。滑らかに車が止まる。
そのままさっさと降りようとするリボーンを見て、ツナはぎくりとした。
「……まさか、そのケンカに首突っ込むつもりか!?」
「そーだぞ。お前も一緒に行くんだからな」
当然のような口ぶりだ。ツナは目を剥いた。
「なっ……何でそうなるんだよっ。大体、お前、格下は相手にしないんじゃなかったのか!?」
「格下だろーが、自分のシマで好き勝手やる連中を放っとくわけにはいかねーからな」
「知るか! 行くんだったら一人で行けよ!」
リボーンは無言でツナの腹に手刀を入れた。
ツナは何が起こったのかも分からないまま、ゆっくりと意識を手放した。
×××
「痛てて……」
ツナは腹を押さえながら起き上がった。地面に手をつくと、冷たい石の感触がした。
(そっか、路面に横たわってたのか……。……路面?)
はっと辺りを見回す。すぐ近くの角の向こうで、数人の男が声を荒げているのが聞こえた。
「……オレ、ケンカの現場に来ちゃったの!?」
気を失っているのをいいことに、リボーンが引きずってきたに違いない。
ツナは青ざめた。このままここにいれば、巻き込まれて大ケガしないとも限らない。
――気付かれないうちに逃げよう。
そろりそろりと、這うようにして声のする方から遠ざかった。
「なあ、おとなしく言うこときけよ。気持ちイイこと教えてやるぜ?」
「何とか言えって、ホラ」
下卑た笑い声。思いがけないやりとりを聞いて、ツナは硬直した。
ケンカというよりも、寧ろこれは……。
(女のコが、襲われてる……?)
いくらなんでも、放ってはおけない。
かといって、ツナが出て行っても勝てる可能性は限りなくゼロだ。
見捨てることも助けに行くこともできず、ツナは身をかがめて角から様子を伺った。
大柄の男が6人。ただのチンピラではなさそうだ。皆スーツを着込んでいる。
襲われている方は、ちょうど男たちの陰になっていた。
だが、目を凝らせば、綺麗なシルバーブロンドがちらりと見え隠れする。
もっとよく見ようと、ツナは身を乗り出した。
「……誰だっ!」
前のめりになった拍子に、小石で音を立ててしまった。
(しまった……!)
慌てて両手で口を覆ったが、もちろん全くの無意味だ。
足音がこちらにまっすぐ近づいてくる。ツナは恐怖のあまり目を瞑った。
「ツナはファミリーの10代目候補だぞ」
恐る恐る振り向くと、そこにはリボーンの姿があった。
ほっと脱力しつつ、今頃やっと現れた彼を恨めしく思う。
リボーンの言葉を聞いて男たちは顔を見合わせ、一斉に噴き出した。
「ガキがマフィアごっこかよ……ふざけるのも大概にしとけよ」
「大人をからかうもんじゃないって、教えてやるとするかね」
(リボーンの奴、火に油注いでんじゃん!)
絶体絶命なのは変わらない。ツナは、額から汗が噴き出るのを感じた。
そのとき。
「オイ、あの赤ん坊、アルコバレーノのリボーンじゃねえか!?」
男たちの一人が叫ぶように言った。他の5人もさっと表情を変えた。
「……リボーンって、ボンゴレお気に入りの? そんな、まさか……」
「でも見ろよ! あのおしゃぶりはアルコバレーノの……」
「じゃあ、一緒にいるこっちのガキは一体……?」
いきなり指差され、ツナはぎょっとしてのけぞった。
「ツナは、ボンゴレファミリーの10代目ボスだ」
ツナに代わって、またしてもリボーンが答えた。
これが決定打だったらしく、男たちはすっかり慌てふためいてツナの前に平伏した。
「「「次期ボンゴレとも知らず、失礼しました……!」」」
男たちは、ローマ郊外に拠点を置く中小マフィアの構成員であること、
ボンゴレやリボーンの名は聞き及んでいて、ケンカを売るつもりは毛頭なかったことなど
口々に弁解を始めた。
「……ええっと、そんなことはいいから、今襲ってたその子を離してくれない?」
「ああ、ハイ、今すぐ!」
結果的に、何とか助けることができた。
安堵するツナの横で、リボーンは男たちの方に向き直り釘を刺した。
「今後、ボンゴレのシマで勝手な真似は許さねーぞ。分かったらさっさと散れ」
「ハ、ハイ!」
男たちは逃げるように去っていった。
「……今みたいに、下っ端マフィア相手のときは、無駄に戦闘に持ち込む必要はねーぞ。
ボンゴレの名前を出せば、大抵は尻尾巻いて逃げてくからな」
「って、マフィア講義やってる場合か! 早く、襲われてた子の様子を見ないと……!」
強姦は未遂に終わったにしても、どこかケガでもしていたら大変だ。
「あの、君、大丈夫……?」
駆け寄っていって、ツナは唖然として立ちすくんだ。
そこに座り込んでいたのは女ではなく、ツナと同じ年頃の少年だったのだ。
予想外の事態に驚いたが、見れば確かに、少年は綺麗な容姿をしている。
先程も垣間見えたシルバーブロンドに、肌の色も抜けるように白く、色素の薄い印象だ。
西洋人にしては顔の彫りが浅い。ハーフだろうか。
彼は不思議な色合いの瞳を大きく見開いて、瞬きもせずツナを見上げていた。
「何とか無事みてーだな、獄寺」
「アンタは……リボーンさん……?」
少年は驚いた様子でリボーンに視線を移した。
ツナはもっと驚いて、二人の顔を見比べた。
「……え、この子、リボーンの知り合い?」
「獄寺はビアンキの弟だぞ」
「ええ!?」
そう言われ改めて見ると、心なしか似ている気がする。
では、これが家出中の弟なのか。
こんな形で遭遇するとは思わなかったので、ツナは焦ってしまった。
どうすればいいのだろう。ビアンキのもとに連れていくべきだろうか。
「獄寺、こっちはオレの生徒だぞ。ボンゴレ10代目だ」
「紹介してる場合じゃないだろー!? ……君、早く家に帰らないと、家の人が心配してるよ!
えっと……とりあえずオレの所に来なよ! 君のこと、ビアンキに知らせなきゃ……」
ツナは混乱のままに、勢い込んで喋った。
しかし、獄寺は聞いているのかいないのか「ボンゴレ……10代目……」と
掠れた声を漏らした。
「……10代目、オレを部下にして下さい!」
「は……?」
ツナは目を丸くした。
獄寺はツナが困惑しているのも構わず、懇願するように膝をついた。
「オレ、自分一人の力でマフィアになるつもりでした。それで、家を出たんです。
それなのに、無様にもあんな奴らに……。あなたが助けてくれなかったら、オレは……。
だけど、これからもっと強くなります! 今度はオレが、あなたの役に立ちたいから……!」
獄寺はここで言葉を切り「だから、部下にして下さい!」と言って頭を下げた。
「えー!? や、そんな、部下って……!」
獄寺はツナに助けられたと思っているようだが、実際、ツナはほとんど何もしていない。
それでなくとも、他人を危険な場所にむやみに引き込みたくはなかった。
「これでファミリーが一人増えたな」
「お前は黙ってろよ! ……いや、オレ、部下とかそういうのはちょっと……」
みるみるうちに、獄寺の表情が沈んだ。ツナははっと息を呑んだ。
(何て寂しそうな顔……)
誰にも仲間に入れてもらえない寂しさ。ツナにも覚えがあるから分かる。
獄寺の表情が語るのはまさにそれだった。
この家出少年もまた、何か孤独を抱えているのかもしれない。
――このまま突き放すのが、本当に彼のためだろうか。
「……分かった」
気付いたときには、言葉が舌から転がり落ちていた。獄寺はびくりと顔を上げた。
「分かったから……ね、一緒においでよ」
獄寺の頬に赤みが差した。ツナは複雑な心境で、少しだけ笑みを浮かべた。
「大丈夫? 立てる?」
「あ……ハイ!」
獄寺は頷き、勢いよく立ち上がろうとした。が。
「えっ……獄寺君?」
前触れもなく獄寺の体はぐらりと傾き、そのままツナの腕の中に崩れ落ちた。
「さっきの連中にクスリを嗅がされたみてーだな。それで、奴らに抵抗できなかったんだろう」
「クスリって……! ちょっ、しっかりして、獄寺君っ!」
ツナは必死になって獄寺の肩を揺さぶった。
×××
「ちょっと失神してるだけだ。すぐ気が付くだろ」
「よかったー……」
シャマルの診断を聞いて、ツナはほっと胸を撫で下ろした。
「よかったじゃねーよ。全く、女性専門って言ってんのによー……」
シャマルはぼやいたが、すぐにふっと笑みを見せた。
「ま、しゃーねえな。コイツとは顔なじみだし」
「え……そうなの?」
「ああ。コイツ、チビの頃はホント可愛かったぜー。女のコみたいで」
シャマルは話しながら上着を着込み「次は女性患者を頼むぜ」と念押して去っていった。
ツナは獄寺の顔を見つめ、しばらく考え込んだ。
雰囲気に流されて部下にしてしまったが、本当にこれでよかったのだろうか。
自分は獄寺のことをよく知らないし、裏社会の本当の怖さもまだ分かっていない。
このクスリのことだって、シャマルがいなければツナ一人では何もできなかった。
そんな頼りない状態で彼を引き受けたのは、我ながら無鉄砲ではなかったか。
「……10代目……」
起こしたかと思ってひやりとしたが、ただの寝言だった。
獄寺は安心しきった表情で横になっていた。――すっかり信頼されている。
ツナはそっと獄寺の髪を梳き「……参ったな」と呟いた。