絵描きツナ×少女獄。男性恐怖症のハヤトちゃんが徐々に心を開いていく話。
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1
春が芽吹き始めていた。ツナは大きなトランクを持って、獄寺邸を訪れた。
玄関ホールは吹き抜けだ。天窓から光が差し込んで、象牙色のタイルを照らす。
主人はローマに別邸を構え、この屋敷に住んでいるのはうら若い姉妹だけだという。
そんな所に、男が転がり込むのはいかがなものか。今更ながら疑問に思う。
ツナの実家は、古くから続く伯爵家だ。なまじ地位があると、生活はかえって窮屈である。
自分には昔から、人の上に立つのは向いていなかった。
それより絵を描くのが好きで、絵筆を握っている時が一番自由になれた。
――大学で絵の勉強をさせて欲しい。四年間やって、才能がなければ諦めるから。
不意に物音が聞こえて、ツナは我に返った。
「誰かいるの?」
一瞬、小さな影が見えた気がした。
「ツナ、久しぶりね」
声がしたので振り向くと、奥の部屋から妙齢の美女が現れた。
滑らかな肌に、サソリのタトゥーが彫られている。
「ビアンキ……」
「あなたの部屋は三階よ。荷物は自分で運びなさい」
不親切なようだが、この家に女手しかないことを思えば当然だった。チクリと罪悪感を覚える。
「ゴメン、急に押しかけて来て……」
「リボーンの頼みなら仕方ないわ」
何せ、伯爵家の嫡男だ。学生とはいえ、下手な所に住ませるわけにはいかない。
家庭教師のリボーンが手早く愛人と連絡を取り、ツナの下宿先を決めたのだった。
ありがたい反面、過保護すぎるとも思う。
「……本当は、リボーンもあなたが大人しく家を継ぐよう望んでるわ」
ツナは苦笑しながら「知ってる」と答えた。絵を描いて生きていくなんて、言うほど易しい
ことではない。諦めさせるつもりで、一旦は好きにさせてくれたのだ。
いずれ戻ってくることを確信して。ツナ自身、先のことは分からない。
黙って俯いていると、何を思ったか、ビアンキにいきなり背中を叩かれた。
「痛っ……何すんだよ!」
「根性のない男は嫌いよ。やるからにはしっかりやることね」
思いがけない言葉に、目を見開く。ビアンキは何気ない顔でトランクを指差した。
「それ、何が入ってるの?」
「え、ああ……画材とか色々」
彼女なりに励ましてくれたのだろう。ツナはふっと微笑んだ。
そうだ、頑張らないと。せっかくの機会を無駄にはしたくない。――いい絵を描きたい。
決意を新たにした所で、また物音が聞こえた。
「ハヤト、いつまで隠れてるの。出てらっしゃい」
ビアンキが優しく呼びかける。すると、階段の陰から、十五歳くらいの少女が現れた。
色白の綺麗な子だった。髪もシルバーブロンドで、色素の薄いイメージだ。
「これがツナよ。今日からウチに下宿するの」
「よろしく」
ツナはそっと手を差し出した。先程から感じていた視線は、この子だったのか。
緑に近いような、不思議な色の目をしている。何となく、描いてみたいなと思う。
ところが、彼女は身をすくめて、二階へと逃げるように去って行った。
「……嫌われたかな?」
「あの子、人見知りなのよ。特に男が苦手なの」
ビアンキはいつになく心配そうに溜息をついた。
2
昼食時のことだった。窓の外に、澄んだ青空が広がっていた。
校庭には、少女たちの楽しげな声が響いている。砂埃が微かに光る。
「今日もいい天気ですね!」
友人のハルがそう言った。ハヤトは窓にもたれて、サンドイッチをかじっていた。
私立ナミモリ女学園。由緒正しいお嬢様学校である。
「じっとしてるのも勿体ないですし、外でバレーやりません?」
「わあ、面白そう!」
隣りにいた京子も手を叩いた。二人とも容姿に似合わず活発で、ハヤトにとっては良い友達だ。
不意に悪戯心が湧いて、こっそりハルの弁当箱を引き寄せる。
「はひ! 苺がなくなってます!」
「……バレたか」
ハルは抜けているようで、食べ物に関しては目ざといのだ。
「酷いですハヤトちゃん! 最後の一個、楽しみにしてたのに……!」
「ゴメン、見てたら欲しくなった」
と言っても、ハルの弁当を盗むのはこれが始めてではない。もはや日常茶飯事である。
「いーえ、許しません! こうなったらバレーで勝負です!」
京子はレモネードを飲みながら、「じゃあ私は審判かな」と呟いた。
「私が勝ったら、ハヤトちゃんは帰りにケーキを奢ること! 京子ちゃんの分も!」
「オレが勝ったら?」
「苺食べたの帳消しにしてあげます!」
何とも不公平な取り引きだ。文句を言える立場でもないので、ハヤトは仕方なく合意した。
階段を下りて外に出る。日陰に場所を取ろうと言って、ハルは先に駆けていった。
「ハヤトちゃんはいつものハヤトちゃんで、何かホッとしちゃった」
「……え?」
振り向くと、京子が優しい目でこちらを見つめている。
「最近、元気なかったから。何かあったのかと思って」
ハヤトは言葉に詰まった。京子はほんわかした少女だが、たまに鋭い一面を見せる。
こちらの様子が気になったのか、ハルも「どうかしたんですか?」と駆け寄ってきた。
答える代わりに、笑ってボールを奪い取る。
「あ、ズルいです……!」
「……今、ウチに男の人来てて」
ボールを高く放りながら、何気なく話し始めた。ハルが慌ててトスを返す。
「お客さん?」
「ていうか、しばらくウチに住むらしい。……四年くらい」
低めに構えて、今度はレシーブで返す。
「ハヤトちゃん、男の人苦手だもんね……」
「……それで悩んでたんですね。でも!」
ハルの呼吸に合わせて、ふわりとボールが飛んでいく。
「苦手を克服するチャンスですよ。心を開けば、きっと……」
わざと甘い球を送ると、ハルが反射的にアタックを決める。
ノーコンなのが玉にキズ。ボールは頭上を遥か超えて、桜の木に引っかかった。
「ふふっ、アウト!」
「はひ! あんな所に……!」
これで苺は帳消しな、とハヤトはハルの肩を叩いた。そのまま、するすると木によじ登る。
「あ、危ないですよハヤトちゃん!」
ハルは心配そうに言うが、バランス感覚には自信があった。毛虫にさえ気を付ければ何とかなる。
ボールは塀の向こう側、枝の先に引っかかっていた。これでは、通りから丸見えだ。
誰も来ないことを祈るしかない。スカートをたくし上げ、ハヤトは手を伸ばした。
もう少し。あと少し。
「ハヤト……?」
名前を呼ばれて、はっと振り向いた。キャンバスを抱えた青年が、驚いた顔で立っている。
――沢田綱吉だ。何やってるの、と彼の唇が動いた瞬間、ハヤトは不覚にも手を滑らせた。
「ひゃあ……っ!」
「危ない!」
落ちていく感覚と同時に、何かが割れる音がした。痛みはなかった。
塀の向こうで、京子とハルが騒いでいるようだが、まるで耳に入らない。
地面には紙と絵の具と、壊れた破片が散らばっていた。
「……見かけによらず、お転婆なんだね」
抱き締める手を直しながら、彼は笑った。
ハヤトは呆然としていたが、体を激しく痙攣させて、やがて人形のように動かなくなった。
3
スーツ姿の男が、獄寺邸に向かっていた。黒い帽子から覗く、髪の毛もやはり黒色だ。
気怠げに、それでいて隙はなく。彼は切れ長の瞳で、屋敷の周りを見回した。
「あらリボーン、珍しいわね」
中庭でビアンキの声がした。日光浴でもしていたのか、艶かしい肢体そのままだ。
「ハヤトの手前、こっちにはなかなか来れねーからな。会いたかったぞ」
「私もよ……」
しなやかな腕が絡み付く。口腔を深く探ると、彼女はくぐもった息を漏らした。
「……ツナはどこだ?」
「大学よ。多分、そろそろ帰ってくるわ」
身分柄、あまり勝手はさせられない。お目付け役として、彼を監視する必要がある。
噂をすれば何とやら、門の開く音がした。バラの茂みを押し分けて、ツナが庭に入ってくる。
「リボーン、来てたのか。ていうかビアンキ、その格好……!」
下着同然の姿を見て、ツナは真っ赤になった。まだまだガキだな、と内心呆れる。
学校帰りとのことだが、ふと見ればスイートピーの花束を持っていた。
「その花はどうした?」
「買ったんだよ。……ハヤトにあげようと思って」
ツナはそう言って目を伏せた。昨日の出来事は、リボーンの耳にも届いていた。
木から落ちたハヤトを、偶然通りかかったツナが抱きとめた。
幸い怪我はなかったが、男に触れられたショックで、ハヤトは寝込んでしまったという。
「オレ、嫌われてるのかな……」
寂しげに溜息をつく。ビアンキは何か言いたげな様子だったが、力なく首を振った。
「……私の口からは言えないわ。リボーン、お願いしてもいいかしら」
「ああ、任せろ」
大っぴらにするべきことでもないが、ツナには話しておくべきだろう。
ビアンキが去っていくのを待って、どさりとベンチに腰を下ろす。
「ハヤトはビアンキとは違う母親から生まれたんだ。ハヤトの母親は才能あるピアニストだったが、
早くに亡くなってな」
先妻と後妻に関しても色々と複雑なのだが、要点だけを淡々と述べる。
「最愛の妻を亡くしたショックで、父親は荒れた。彼女の身代わりにするかのように、まだ幼い
ハヤトにピアノを叩き込んだんだ」
「それって……」
もちろん、年端も行かない娘に、母親と同じ演奏などできるはずもない。
罵倒されたり、ぶたれたりするうちに、明るかったハヤトも恐怖で倒れてしまったのだ。
「今じゃすっかり、男性恐怖症になっちまった。お前が嫌いなわけじゃない」
そうした事情を知っていながら、ツナを送り込んだのは、彼が並外れて優しい青年だからだ。
どんな相手も受け止めようとする。切り捨てることができないのは、彼の甘さでもあるけれど。
「……オレ、やっぱりハヤトに会ってくる」
期待に違わず、ツナは静かに答えた。スイートピーの花束を手に、彼は屋敷に入っていった。
×××
ハヤトの部屋は、二階の一番東側だ。ためらいながら戸を叩く。
「入ってもいい?」
拒否されるかと思いきや、「どうぞ」という声がした。
開けてみると、ハヤトは青いワンピースを着てベッドに腰掛けていた。
「……お見舞いに来たんだ」
怖がらせないよう、その場に立ち止まる。曖昧に花束を振ってみせた。
「すみません……」
「え?」
「助けて頂いたのに、失礼なこと……絵の道具も壊してしまって」
会話らしい会話をするのは、これが初めてだった。そう高くはないが、透明感のある声。
ツナははっと我に返り、慌てて首を振った。
「気にしなくていいよ。どうせ古い奴だったし」
「いいえ、自分がおかしいってことくらい分かってるんです。14歳にもなって、こんな……」
ハヤトは唇を噛んで俯いた。恥じているのか、悲しんでいるのか、その胸の内は分からない。
そもそも、ツナは彼女のことをよく知らない。言ってみれば赤の他人だ。
それでも、まだ14歳の女の子が悩んでいる姿が、かわいそうで、見ていられなくて。
ツナは一歩前に進み出た。ハヤトがびくりと顔を上げた。
「君は悪くないよ。……ゆっくり仲良くなっていこう、ね?」
心からの思いが通じたのだろうか。ハヤトは不安な表情で、それでも確かに頷いた。