※10年後
『会いたい、君に……』
苦笑に紛らわすように、そっと彼が言ったから。
駆けつけないではいられなかった。
湧き上がる思いを何としよう。
×××
五月も初め。海岸沿いの道はさして混んではいない。
某高級ホテルの駐車場に停車し、獄寺は焦って外に出た。
晴れわたった空と、息を呑むほど青い海。
絡み付く風、潮の香り。
シルバーブロンドが乱れるのも構わず、勢いよくフロントに駆け込んだ。
最上階のスウィートルームに彼はいるはず。
上昇するエレベーターが、やけに遅く感じられる。
(コイツ、もっと急げよ!)
胸の内で無意味な悪態をつく。
エレベーターは同じ速度で上昇を続け、やっと最上階にたどり着いた。
「……獄寺君?」
ドアの前に立ってすぐ、まだ何も言っていないのに中から答える声がした。
「え、本当に!? 本当に獄寺君なの!?」
獄寺が何か言う前に、彼はドアを開けてくれた。
予告なしに現れたものだから、彼は驚いたように目を見張っていて。
でも、一瞬後には笑顔になる。
「本当に、来てくれたんだね」
「10代目のためなら、どこにいたって駆けつけますよ!」
獄寺はまっすぐにツナを見上げ、満面の笑みで言い切った。
「……とにかく、入って?」
「はい、お邪魔します!」
獄寺はツナの後について部屋に入った。
ぐるりと室内を見回してみる。窓からの景色が最高だった。
×××
「ビックリしたよ。さっき電話してから、一時間くらいしか経ってないのに……」
「お電話頂いて、すぐに飛び出してきたんです」
仕事を放ったらかしてきたというのは、内緒にしておく。
別に急ぎの仕事じゃない、ちょっとしたデスクワークだ。
明日終わらせれば誰も文句は言わないだろう。今は、10代目からの呼び出しの方が重要だ。
獄寺はそう自分に言い聞かせた。
「10代目は、久々のお休みだったんですね?」
「うん。この時季って、日本だとゴールデンウィークでしょ?
‘オレは日本人なんだから、今週は休みにしろ’って言い張ってみた。リボーン相手に」
言いながら、楽しそうにくすくす笑う。
「……そしたら、意外とあっさり許可が下りたんだ。たまの羽休めもいいだろうって。
で、このホテルを予約してくれた」
立ったままの獄寺に「ああ、座って? そこのソファーに」と優しい言葉がかかる。
言われるままに獄寺は腰掛けた。
「10代目はここんトコ働き詰めでしたからねー。リボーンさんの言うとおり、
お休みが必要っスよ」
「あはは。でもさ……」
ツナは獄寺の隣りに座り、じっと顔を覗き込んできた。
「……いくら高級なホテル取ってみたってさ、一人きりじゃあ、ね」
何が言いたいか分かる? と囁くように言われて。獄寺は笑みを返した。
「一人じゃ何かと危険ですもんね! 安心して下さい、10代目が快適な休日を過ごせるよう、
オレがしっかり護衛しますから!」
「……うん、やっぱり君は天然だね」
ツナは何故か肩を落とした。わけが分からず、獄寺は首を傾げた。
「……まあいいや。獄寺君、ノド渇いてない? ルームサービス呼ぼうか?」
「あ、オレは結構です。10代目は?」
「さっき頼んだ」
指差したダイニングテーブルの上に、華奢なグラスが乗っている。
無色透明の液体が静かに泡を立てていた。
「カクテルですか?」
「ただのソーダ……。そう弱くもないけど、あんまり美味しいと思わないんだよね。酒は」
「そうっスか? そのうち慣れますよ」
「好きだけど弱いよねー、獄寺君の場合」
ツナはからかうように言って、獄寺の髪に手を伸ばした。
指先に絡めたり、梳いてみたり。
くすぐったくて、獄寺は目をつぶった。
「オレ、この髪が好きだよ。色も、サラサラした手触りも」
唐突にツナが言った。獄寺は思わず目を見開いた。
「えっと……恐縮っス……」
「……恐縮しないでよ」
ツナは困ったように笑っている。
「あの、オレ、ソーダ持ってきますね」
「逃げないで」
逃げるつもりはなかったのだが、ツナは強い力で獄寺の腕を掴んできた。
ソファーに押し付けられて、獄寺はツナを見上げる形になる。
――ああ、この人は大きくなった。
身長を追い越されたのはいつだっけ。
ずっとそばにいたから、本当に、いつの間にか……。
ぱちぱちと瞬きをしていると「……怖いの?」と訊かれた。
慌てて首を横に振る。
「……オレはね、獄寺君、召使が欲しくて君を呼んだんじゃないんだ。
もっと単純に、君に会いたかっただけ。髪の毛に触ったり……ね。
君はどうなの? まだオレのこと、ボスとしてしか見てないの?」
オレたち、恋人同士だよね?
責めるでもなく、ツナはどこまでも優しかった。
でも、問いかける瞳は真剣そのもので。
目が離せない。どくりと胸が高鳴った。
「10代目は……大切な人です……」
「それじゃダメだよ。答えにならない」
「だって……」
獄寺は言葉を探したが、上手く言い表せなかった。
ボスで、恋人で……すなわち大切な人だ。
もともと公私を分けたりしていないから、境界線なんて分からない。
仕事中も、プライベートでも、ボスと部下だったときも、恋人になった今も、
ずっと好きだったから分からない。
ぐるぐる考えていると、不意にツナが笑い出した。
「よく分からないって、顔に書いてあるよ」
「すみません……」
気を悪くしてないといいが。獄寺は身を縮めた。
「いいよ。一生懸命考えてくれてたからね」
ツナは獄寺の髪を掻き上げて、額にキスを落とした。
こういうとき、こちらからもキスを返せば、10代目は喜んでくれる。
一応唇を狙ってみるが、恥ずかしくなって結局頬に口付けた。
目を細めながら、ツナは獄寺の頭を引き寄せ、何度も頬ずりをする。
耳元で何か囁かれたが、自分の鼓動がうるさくて聞き取れなかった。
「今、何て……」
「これでいいのかもね、って言ったんだ」
額がコツンと合わせられる。至近距離で見つめあう。
場の雰囲気にそぐわない、子供っぽい仕草が何だか無性におかしくて。
二人は声をたてて笑った。
×××
獄寺は体を起こして、ダイニングテーブルに向かった。
ソーダのグラスを持ってきて、ツナに手渡す。
「ありがと」
ツナは緩慢な動作でグラスを傾けた。
「獄寺君も一口どう?」
「え、だって、悪いですよ!」
「いいからいいから……」
しきりに勧められて、一口だけ飲んだ。炭酸が舌を刺激する。
ツナはじっと獄寺を見つめていたが、そっと口を開いた。
「オレもさ、恋愛のことなんて本当はよく分からない。……でも、これでいいのかもね。
少なくとも、お互いに好きなんだし。それに、相手のこと一生懸命考えてるし」
ねえ、と同意を求められる。
獄寺は赤くなった顔で大きく頷いた。
手の中にソーダ水。
しきりに泡立ち湧き上がる、それ。
「ソーダに似てる気がします……」
「え?」
「何もしなくても、上へ上へ気持ちが湧き立つ感じなんです。
その……10代目への気持ちってのは」
獄寺はたどたどしく言った。
ツナはしばらく黙っていたが、やがてゆっくり息を吐いた。
「……ワザとじゃないんだよね、君は……」
「は……?」
「うん、天然なんだね……かなわないな」
きつく抱き寄せられ、獄寺は慌てた。
しかし唇をふさがれて、すぐに何も言えなくなる。
「でも、炭酸だとそのうち気が抜けちゃうから。魔法のソーダじゃないとダメだね。
いつまでも泡立ち続けるような」
「そ……そうですね」
魔法って。……かなわないのはこっちだ。
二人は吸い寄せられるように、深い深いキスを交わした。