1
「マスター……」
ニキータは意を決して、読書中の彼に声をかけた。
マスターと呼ばれた青年・アルフレドは振り向き、柔らかい笑みを浮かべた。
「うん、よく似合ってるよ」
「……」
これの、どこが似合うっていうんだ。自分の着ている服を見下ろしてみる。
紺のスカートに白いエプロン。
所謂メイド服だ。アクセントとなっているフリルが気恥ずかしくて仕方ない。
何でこんなの着なきゃいけないんですか、と喉の奥まで出かかった。
だが彼のことだ、何か上手いことを言ってはぐらかすに違いない。
ニキータは諦め、がっくりとうなだれた。
飲み屋でのバイトをやめて、新しい働き口を探していたときだった。
マルティーニ家が住み込みのメイドを募集していたのは。
条件もよかったし、貴族の屋敷への憧れもあって、ニキータは早速面接を受けた。
マルティーニ家に特殊な事情があるなんて、思ってもみなかったのだ。
(まさか、マスターがこんなに若いなんて……)
若いといっても、アルフレドはニキータと同い年だ。
しかし、年配の紳士を予想していたニキータにとっては驚きだった。
面接の結果、アルフレドはニキータを気に入ったらしく、採用してくれた。
そして今日が仕事初日。
最初の仕事は、彼が用意したメイド服に袖を通すことだった。
「これからよろしく、ニキータ」
「よろしく……お願いします」
同い年の青年に敬語を使うなんて、何だか調子が狂う。
そんな思いを見透かしたのか、アルフレドは笑いながら言った。
「無理して敬語を使わなくていい。君とならいい友達になれると思って、選んだんだから」
「……じゃあ遠慮なく」
「そうそう、その調子」
アルフレドは満足気に言って、じっとニキータを見つめてきた。
ニキータはどぎまぎしながら「何だよ」とぶっきらぼうに尋ねた。
「いや……君は、僕の妹に似ているんだ。妹は先月から女学校の寮に入ってね。
それ以来、この家もすっかり静かになってしまって……。
でも、君が来てくれた。また賑やかな生活が送れそうで、嬉しいよ」
「ちょっと待った」
ニキータは焦って、アルフレドの言葉をさえぎった。
「あの……マスターは、まさか、この屋敷に一人で住んでるワケじゃないよな?」
「ああ、一人だ」
アルフレドはあっさりと頷いた。
「君を雇ったのも、家での話し相手が欲しかったからなんだ。上手くやっていけそうだな」
(いやいやいや、前途多難だって!)
同い年のマスターと二人きりの新生活。予想外にも程がある。
ニキータは軽く眩暈を覚えた。
2
メイドといっても、仕事なんてほとんどなかった。
マスターのアルフレドは、貴族のくせに身の回りのことは自分でしてしまうのだ。
何だか悪いので、夜の戸締りを進んで引き受けた。
元来、怠けるのは性に合わない。高い給料を貰っているのだから尚更だ。
(とはいっても……流石、貴族の屋敷は広いな……)
これでは、戸締り確認も時間がかかりそうだ。
それに、気味が悪い。長い廊下に自分の足音だけが響いていく。
暗闇に何か潜んではいないか。想像すると怖くなってきた。
「ニキータ……」
「うわっ!」
不意に、背後からアルフレドが現れた。
「そんなに驚くとは思わなかったな」
「……急に出てくるのが悪いんだろ!」
くすくす笑うアルフレドに腹が立った。
ニキータが怒鳴っても咎めない辺り、優しい人だとは思うのだが。
「やっぱり、二人で戸締りしよう。夜は何かと気味が悪いからね」
「そんな……マスターが気を遣うことないんだ」
正直有り難かったが、ニキータとしては安易に甘えるわけにはいかない。
これは仕事なのだから。
しかし、アルフレドは聞き入れず、並んで歩き出した。
二人で行くと気味の悪さは半減し、探検でもしているような気分だ。
戸締りのついでに、アルフレドが一通り屋敷を案内してくれた。
珍しい物を見つけニキータが目を輝かせると、アルフレドは優しい笑みを浮かべた。
「この部屋で最後だ……入ろうか」
言われるままに中に入った。
広い部屋だ。いくつもの本棚、グランドピアノ、ソファーと小テーブル、ベッドもある。
それらを素通りして、アルフレドは窓際に向かった。ニキータも後に続いた。
「この窓から、バルコニーに出られるんだ」
「へえ、出てみたい!」
アルフレドは笑って窓を開けた。
ニキータを支えるように、そっと手を差し伸べてくれる。
少しためらってから、ニキータはその手を取った。
二人一緒に外に出る。何の気なしに上を見れば、澄んだ夜空がそこにあった。
「はー……星がよく見えるんだな」
「この家自体、街から少し離れてるしね。気に入ってくれたかい?」
「うん、すごく気に入った」
ニキータはごく素直に言った。
「ちなみに、今通ってきたのは僕の寝室だ。ここからだと星空が一番よく見えるんだよ」
「なるほど……そんな気はしてた。立派な部屋だもんな」
「ああ、あと、君の寝室はそこだ」
アルフレドが指差したのは、バルコニーで繋がっている隣りの部屋だった。
「……マスター、それはちょっと……」
「どうしてだい? 二人しかいないんだから、できるだけ近くにいた方がいいだろう?」
有無を言わせない微笑。こうなったら、ニキータに逆らう術はない。
マスターとメイドの二人は、すぐ隣りの部屋で夜を過ごすことになりそうだった。