ヒバリさんの片思い。ディノさんが割と天然。
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1
大きな門を押し開け、屋敷へと続く並木道をひたすら駆けた。
門から玄関までの距離、約二百メートル。雲雀邸は木立に囲まれた美しい建物だ。
黒髪がさらりと風になびく。途中、使用人とすれ違い頭を下げられたが、全て無視した。
金曜日は家庭教師の来る日。約束の時間を既に十五分過ぎていた。
ヒバリが部屋に駆け込むと、窓の側に立っていた男がはっとした様子で顔を上げた。
「何だ、意外と早かったな」
読みかけの本を閉じて、笑顔を見せるディーノ。
人の良さそうな外見と裏腹に、れっきとしたマフィアのボスである。
「学校で急遽、課外活動が入ったんだって? 帰りは遅くなるって聞いてたけど、良かった」
まともにやっていたら帰れそうもないので、堂々とサボってきたのだが。
敢えて言う必要もないだろうと、ヒバリは黙っていた。
ボンゴレからの斡旋で、突然師弟ペアを組まされた時は、何のつもりだと思ったものだ。
ファミリーの中でも自分勝手なヒバリに、お目付け役が必要との判断らしい。
しかし、ボンゴレの意向など構わず、最初のうちは単に戦闘相手として彼を遇した。
流石リボーンの知人だけあって、彼は強かった。惹かれたきっかけは多分そこだ。
いつの間にか戦闘以外にも接点ができて、今では週一で勉強を見てもらうことになっている。
否。勉強なんて口実に過ぎない。ヒバリは鞄を下ろし、椅子に腰掛けた。
「今日は何を教えてくれるの?」
いつものようにそう訊くと、ディーノは困ったように頭をかいた。
「お前なあ……。普通、生徒が自分で分からないトコを質問するもんだろ」
「あなたの好きな分野をやっていいよ。別に、分からない所なんてないから」
どういう生徒だよお前は、とぶつぶつ言いながら、ディーノは教科書に目を通し始めた。
伏し目がちの表情。金色の睫毛。じっとしていると、まるで絵画か彫刻のようだ。
違うのは、側にいて色気が伝わってくることか。
妙な考えが浮かぶ前に、「じゃあ詩の解釈でもやるか」と声がかかった。
「レモンの木は花さきくらき林のなかに……」
……くもにそびえて立てる國をしるやかなたへ、君と共にゆかまし。
詩の内容に興味はなくて、ただ彼の声だけを聞いていた。
軽く目を閉じる。柔らかい風の吹く、贅沢な午後だった。
「あっ、お前、今ちょっと寝てただろ!」
揺さぶってくる手を、ヒバリは何となく握り返した。
拗ねた顔がこちらを見ている。――近いんだけど。警戒心のなさに呆れた。
「コーヒーをお持ちしました」
「……あ、どーも。毎回すみません」
使用人の誰かが、不意にドアをノックした。
さっとディーノが立ち上がり、トレーを受け取りに行く。
「ここで貰うエスプレッソ、オレが知ってる内じゃ一番旨いぜ。お前、幸せ者だな」
邪魔されて苛立つヒバリと対照的に、ディーノはカップを口に運んで満足気だ。
「まさか、コーヒー目当てに来てるの?」
少し子供っぽい人だから、有り得なくもない。
ヒバリが上目で睨んだところ、「そんなワケないだろ」と笑いながら、髪をくしゃりと撫でられた。
2
「恭弥、入るぞ」
ディーノはドアを押し開けた。家庭教師のため、ヒバリのもとにやって来たのだ。
「……あれ、いないのか?」
いつもは部屋で待っているのに、何故か姿が見えない。
戸惑ってその場に立ち止まると、「こっちだよ」という声がした。ベッドの方からだ。
見れば、ヒバリが寝巻姿で横になっている。
「お前っ、病気か?」
「カゼをひいたんだ」
確かに、少し鼻声である。ディーノは顔を曇らせた。
「大変そうだな……」
それには答えず、ヒバリはコホコホと咳き込んだ。何だか辛そうに見える。
家庭教師なんてやっている場合ではなさそうだ。
「今から寝るトコだったんだろ? 邪魔しちゃ悪りーから、オレ帰るな。また後で見舞いに来る」
ディーノはそう言って立ち上がった。が、ぐいと袖を引っ張られる。
「行かないで」
「え……」
「あなたはここにいて」
意外だった。他人を寄せ付けないタイプの彼が、こんな風に甘えるなんて。
信頼されている証拠だろうか。ディーノは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「それと、この本、元の場所に戻しといて。ついでに本棚の整理もやってね」
「……はい?」
呆気に取られたが再度促され、言われるまま本を片付ける破目になった。
いや、甘えるといっても、これは何か違う気がする。いいように使われているというか。
「あと、ソファーの上にあるクッション持ってきて」
ヒバリはあくび混じりに、また注文を付けてきた。
(コイツ、自分が動きたくないだけじゃねーか!)
信頼関係がどうのというより、単にワガママが悪化している。
この野郎、と思いつつも、やはり憎めない相手だった。
ディーノにとって、彼は可愛い生徒なのだ。
「わーったよ、オレの大事なきょー、や」
苦笑しながら、クッションを持って行ってやる。ヒバリはスッと手を差し出した。
その手はクッションを受け取るのではなく、ディーノの顔の方に伸びてきて……。
いきなり鼻をつままれた。
「いただだだっ!?」
ヒバリは割とあっさり手を放し、「……涙目」と言って笑った。
「痛かったんだよ! 鼻曲がるって!」
「綺麗すぎる顔だからね。鼻くらい曲がった方がいいんじゃないの」
いいワケないだろ、とぶつぶつ言って、ディーノは今度こそ立ち上がった。
「果物か何か買ってきてやるから、お前ちゃんと寝とけよ」
すると、ヒバリはそれこそ冗談のように、「……早く帰って来てよね」と呟いたのだった。
3
学校から帰ってみると、庭に一機のヘリが待ち構えていた。予測不能の事態である。
ヒバリは少なからず驚いたが、考えてみれば、こんなことをする人間は一人しかいない。
思った通り、ヘリの中から例の家庭教師が姿を見せた。
「よう恭弥、邪魔してるぜ」
「……何これ、どういうこと?」
ディーノは悪びれる様子もなく、人懐こい笑みを浮かべた。
「クリスマス前だし、何かイベントも必要だと思ってな。今日はこのヘリで、遊覧飛行に
連れてってやるよ」
一呼吸置いてから、ヒバリはさっとヘリに乗り込んだ。
これが別の相手なら、追い返すのみならず、トンファーで叩きのめしてやるところだ。
他ならぬディーノだからこそ。――口が裂けても言わないけれど。
×××
程なく日が暮れて、地上にはぽつぽつと明かりが点き始めた。
「上空から見る夜景って綺麗だよなー」
ディーノが弾んだ声で言う。遠くを見つめる横顔。首筋の滑らかなライン。
ヒバリは窓の方に視線を移しつつ、「こうやって街を見下ろすのは悪くないね」と応じた。
「‘群れる人間を見なくて済むし’だろ?」
振り向くと、ディーノが悪戯っぽい表情でこちらを見ていた。
「ずっと一緒にいるせいか、最近、お前の考えてること少し分かるようになったんだぜ」
白い歯を見せて笑い、いかにも得意気だ。
一方で、この暢気さに付き合えるほどヒバリは気長ではなかった。
盗むかのようにひっそりと、ディーノの手首を掴む。
「じゃあ、僕が今何を考えてるか分かる?」
返事を待つ気などない。捕らえて、ただ唇を重ねた。
じんわりと浮遊感が襲ってくる。ヘリが急下降でもしているのか。
「……週に一回会うだけなのに、あなたはそれで満足なの?」
どこかくしゃりとした顔で、ディーノは数回瞬きをした。ほのかに目元が赤い。
「知らなかった……。恭弥ってこんな、優しいキスするんだ……」
一旦口を噤み、照れた様子でへらっと笑う。
「そーだな……とりあえず、週一を週二に増やしてみるか?」
「そういう話をしてるんじゃない」
「……だって、何て答えたらいいか分かんねーんだ。嫌じゃなかったのは、確かだけど」
触れ合ったままの手が、ためらいがちに握り返される。
ディーノは金色の睫毛を伏せて「恭弥の手、冷たい」と呟いた。
「温めてくれるの?」
仕方ねーな、との答え。
好きだと言われたわけではない。言ったわけでもない。それなのに。
繋いだ指先だけが曖昧に、溶け合うように感じられた。
4
少し右上がりの字が、サラサラとノートに書き込まれていく。
大人しく勉強している所だけ見れば、ヒバリはまさに優等生だった。
たまに左手に持ち替えては、利き手と変わらぬ字を書いてみせる。器用なものだ。
ディーノはすぐ隣りに座って、ぼんやりとそれを見つめていた。
「何?」
視線を感じたのか、ヒバリがひょいと顔を上げた。
「いや……。お前が問題解いてる間、こっちはすることがなくてな」
そう首をすくめると、「ふうん」と生返事をして、ヒバリはまたシャーペンを動かし始めた。
「好きにしてていいよ。ソファーで休んでれば」
――いや、オレ一応、家庭教師なんだけど。
しかし、横でじろじろ見ていては、かえって邪魔になるだけかもしれない。
ディーノは少し迷ってから、言われた通りソファーに腰掛け、解き終わるのを待つことにした。
膝の上にエンツィオを乗せて、甲羅をぐりぐりと撫で回す。
(オレ、何してんだかなー……)
ふっと遠い目になる。
前から気付いていたのだが、ヒバリは成績がいい。取り立てて教えることがないのだ。
実際、家庭教師なんていらないのではないか。そう思うとちょっと寂しい。
「終わったよ」
目の前にノートを突き出されて、ディーノは我に返った。
「ああ、じゃあ採点……」
受け取ろうとして伸ばした手を、逆に掴まれる。
目を閉じたヒバリの顔が、子供のくせに色っぽくて。
キスされると分かっていながら、避けることができなかった。
「ん……恭弥っ」
一旦唇を離してから、続けざまに頬に口付けられた。
好き放題やった挙句、肩口に顔をうずめてくる。嫌われるのを恐れるかのように。
これだから拒めないんだ。ディーノはそっと、ヒバリの黒髪を梳いた。
「……甘えっ子」
ヒバリはムッとした表情で「誰が」と言い返した。
「あなたこそ、かまって欲しくて仕方なかったくせに」
「あ、バレた?」
おどけて笑ってみたものの、見透かされていたのかと内心焦る。
「優秀過ぎても物足りないっていうか……たまには赤点とか取ってきたら面白いのに」
つい、心にもないことを言ってしまう。
すると、ヒバリは何を思ったか、突然立ち上がりケータイを取り出した。
「あなたがそう言ってたって、赤ん坊に伝えとくよ」
「なあ!? 待て待て待て!」
ディーノが慌てて追いすがると、タイミングよくヒバリが振り向いた。
思いがけず、息も触れ合うほど近くに互いの顔がある。
気まずい沈黙が流れた。
「……今後、不用意に近付いた場合、誘ってると見なすから」
「わ、分かりました……」
何なんだ、この緊張感。確かヒバリとの関係は、先生と生徒だったはず。
事態はアブノーマルな方向へ進んでいるのだと、ディーノはようやく感付いた。