予備校ジャーナル

講師ツナ×スタッフ獄。モデルは河●塾だったりします。
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1



 無機質に磨き上げられた細い廊下。靴音を響かせながら、獄寺は教務課へと歩いていた。
 新しい職場は予備校だった。そして、今日が記念すべき初仕事なのだ。
 胸には既に、事務員のネームプレートを付けていた。仕事はなかなか煩雑だという。
 まあ、とりあえずはやってみることだ。そう自分を勇気付ける。
 考え事をしていたせいか、角を曲がってくる人影に気付かなかった。

「あ……!」
「うわっ!?」

 鈍い衝撃音がした。出会い頭にぶつかってしまったらしい。
 獄寺はゆっくりと目を開けた。お互いに荷物もぶちまけて、散々である。

「ゴメンね。君、ケガとかない?」

 細身のスーツを着た、若い男だった。ワインレッドのシャツは、心なしか香水の匂いがする。
 彼はこちらをぱっと見るなり「あれっ」と声を上げた。

「もしかして、獄寺君?」

 獄寺はきょとんと彼を見返した。優しげに、彼が微笑する。

「オレ、君の家の隣りに住んでるんだけど……忘れちゃったかな?」

 それでやっと、彼が誰なのか思い出した。「……ああ、沢田さん!」と呼びかける。
 彼こと沢田綱吉は、確かに我が隣人だった。


××


 マンションへの引越しは、予想以上に賑やかなものとなった。
 全ては、内藤ロンシャンという男に捕まった所から始まる。

「わわっ、獄ちゃん604号室? 沢田ちゃんの隣り!?」
「うるせーお前、ついて来んなよ」

 四階の住人だというロンシャンは、何故か獄寺の引越し作業に付きまとっていた。
 初対面の相手を前に、一方的に喋りまくっている。妙な奴もいたものだ。

「603号室の沢田ちゃん、超カッコいいんよ! ちなみに、ホストやってるらしい。ホストだよ!」

 興味がないので聞き流していると、丁度人が通りかかった。

「何? オレの噂話?」

 獄寺はびくりと顔を上げた。茶色い髪の男が、こちらを見つめている。

「どーもどーも沢田ちゃん! 今からお仕事!?」
「うん。コースが新しく増えたとかで、最近忙しいんだよね」

 ホストがどんな物かは知らないが、なるほど、それらしい雰囲気だ。
 少なくとも、普通の会社員ではなさそうだと思った。


×××


 散らばったプリント類を拾い集める。
「勤め先が一緒だなんて思わなかったよ」と、沢田がしきりに言った。

「ていうか、沢田さんってホストじゃなかったんですか?」

 沢田は一瞬、呆気に取られた様子だったが、すぐに声を立てて笑い出した。

「ロンシャンから聞いたんだろ? アイツが勝手に思い込んで、近所に言い触らしてるんだ」

 面倒臭いので、いちいち訂正はしていないという。
 昼夜逆転しがちな生活だし、派手な服装で出勤する。勘違いされる要因は多々あるのだ。
 獄寺は妙に感心しながら聞いていた。
 予備校講師のイメージが、自分の中で随分変わってしまったような気がした。

「これでも、れっきとした国語教師だよ。どうぞよろしく」

 沢田がすっと手を差し出した。しかし、握手する暇もなく、始業の鐘が鳴り響く。
 慌てた顔をして、沢田は教室へと走り去った。










2



 教務課で仕事中、ピコピコと電子音が鳴り始めた。電話に似た機械だが、使用目的が分からない。
 無視するわけにもいかず、獄寺は受話器を取った。

『すみません、棒を忘れたんでお願いします』

 面食らって「はあ」と答えたところ、すぐに切れてしまった。
 今のは何だったんだろう。腕組みをして考えてみるが、さっぱり見当が付かない。

「どうかしたんですか?」

 同僚のイーピンが話しかけてきた。テキパキとした仕事ぶりで、皆に信頼されている。
 ここは助けを借りることにして、獄寺は口を開いた。

「いや、‘棒を忘れたからお願いします’とか何とか……」
「ああ、黒板を指す棒のことですよ」

 イーピンはあっさり答えた。立ち上がって、その棒とやらを持ってくる。

「先生ってたまに、授業で使う道具忘れたりするでしょ? そんな時は、各教室の内線で
あたし達を呼んで、持って来させるんです」

 それが、今の連絡だったというわけだ。講師自ら取りに戻ったのでは、授業の妨げになる。
 獄寺が納得していると、「どの教室からだったか分かりますか?」と話しかけられた。
 同じく同僚のランボである。言われてみれば、教室番号が表示されていた気がする。

「確か503……」
「火曜五限の503……沢田先生か。じゃあ、持ってったげて下さい」

 棒を一本持たされて、獄寺は503教室へと出発した。


×××


 教室の前まで来たものの、入っていいものか少し迷った。
 しばらく様子を伺っていると、中から講師の声が聞こえてきた。

「ハンドブックの11ページ開けてー。ここで使われてる‘カタルシス’の意味だけど……」

 聞き覚えのある声だ。この教室で間違いない。獄寺はドアをノックした。

「どうぞ」

 戸を開けると、生徒たちの目が一斉にこちらに注がれた。視線が痛い。
「君だったのか」と言って、沢田は顔をほころばせた。

「遅くなってすみません」
「こちらこそ、忘れ物多くてすみません」

 すると、生徒がどっと笑い出した。人気講師なのだろうと推測が付く。
 沢田は大真面目な顔をして、今度はこっそり囁いた。

「以後気を付けますって、イーピンに伝えておいて。あの子、怒ると怖いから……」

 思わず、獄寺も笑ってしまった。面白い人だ。
 彼がどんな授業をするのか気になったが、勤務中のためその場を離れた。



 帰りは悠長に階段を使う。予備校のスタッフも、少しずつ慣れてきた感覚だ。
 楽観的に考えながら歩いていると、不意に体に緊張が走った。
 階下に、一人の赤ん坊が立っていた。信じられないほどの威圧感だ。
 赤ん坊はつぶらな目で、まっすぐにこちらを見上げた。

「獄寺隼人」

 思わず「は、はい」と返事する。敬語を使うにふさわしい威厳が彼にはあった。
 赤ん坊はニヤリと笑みを浮かべた。

「……しっかり仕事しろよ」

 意味深長な言葉をかけて、彼は階段を上ってきた。










3



 7時半頃に身支度が済んだ。時間を確認してから、ケータイを鞄に放り込む。
 徐々に、新しい職場にも慣れてきた。早めに行って、資料の整理でもしておこう。
 自宅から駅が近いので、通勤は比較的楽だった。

(沢田さんは、まだ寝てるんだろーな)

 隣人の迷惑にならないよう、獄寺はそっと戸を閉めた。
 講師である沢田の勤務は、大体午後から深夜だという。午前中は睡眠時間なのだ。
 職場が同じでも、あまり顔を合わせる機会はなかった。

「おはよう、獄寺君」

 後ろから声をかけられた。何と、沢田本人である。手には鞄を持って、まさに出勤スタイルだ。

「沢田先生……起きてらっしゃったんですね」
「うん、今日はちょっと早いんだ」

 急な講義でも入ったのだろう。若い割に人気講師で、かなり忙しくしているらしい。
 大変なんだなと感心していると、沢田は親しげに笑顔を見せた。

「オレ、車なんだけど。一緒に乗ってかない?」
「いいんですか?」
「もちろん。行く場所同じだから、遠慮しなくていいよ」

 ありがたく甘えることにした。彼となら、間が持たないということもなさそうだ。
 駐車場に下りると、沢田は「どうぞ」と言って助手席のドアを開けてくれた。
 獄寺は軽く頭を下げて、彼のフィアットに乗り込んだ。
 ダッシュボードに、ストラップが数本引っ掛けてある。ペットボトルの景品だった。
 妙な所で庶民派だ。

「獄寺君って、年いくつ?」

 緩やかに発車しながら、彼は突然そう訊いた。

「26です」
「ホント? オレと同い年じゃん」

 ちらっと向けた顔が、心なしか嬉しそうに見える。獄寺もにこっと笑った。
 まあ、外見からいって、同じくらいの年齢だと予想はしていたのだが。

「じゃあ、今度からタメ口で話そうよ。敬語じゃなくて」
「ええ?」

 交差点に入って、透明のストラップがしきりに揺れた。

「えっと……急には難しいというか……」

 いや、急じゃなくても難しい。相手は先生なのだから。
 沢田は気を悪くしたふうでもなく、「そっか」と言って笑った。

「こうやって話すの、初めてだね。職場もマンションも同じなのに」
「講師とスタッフじゃ、やってることが違いますから」
「ああ、確かに。服装もスタッフはスーツだけど、講師は好き勝手やってるよね」

 彼はといえば、今日は黒ジャケットの下にストライプのシャツを覗かせていた。
 確かに、講師のファッションは様々だ。
 毎日革パンだったり、一年中Tシャツというのもいるらしい。その点、女性陣は普通なのだが。

「獄寺君のスーツ姿、色っぽくて好きだな」

 反応に困ったが、「……ありがとうございます」と答えておいた。
 いつの間にか、予備校最寄りのコンビニに差し掛かっていた。



 1階ホールで彼と別れ、獄寺はまっすぐ教務課へ向かった。途中、生徒や講師とすれ違う。

「あ、獄寺さん」

 おはようございます、とにこやかに挨拶したのは、三浦という英語教師だった。
 彼女もまた忘れ物が多いので、教室まで届けたことが数回ある。

「さっき、沢田先生と一緒でしたよね? 今日はお休みのはずなのに、どうしたんでしょうね」

 ちょっと首を傾げて、彼女は去っていった。獄寺は唖然としてその場に立ち尽くした。
 今日はお休みって――つまり、わざわざ送ってくれたのか。
 今度会った時、どんな顔をすればいいだろう。獄寺は真剣に考え込んだ。










4



 けした所が恋はじめ。こしもとに心ある事。‘江戸文学入門’と記された参考書を閉じて、
 沢田は時計を見上げた。そろそろ昼食の時間だった。

「ピザの出前頼んどいたぞ」

 突然の声にびくっとする。いつの間に現れたのか、リボーンが机の上でくつろいでいた。

「お、お前なあ! どこにでも出没すんなよ!」

 沢田の抗議など聞きもしない。リボーンは側にあった参考書に目を留め、ニヤリと笑った。

「家康が書いたヤツだな」
「……返せよ」

 沢田はやや乱暴に、祖父の著書を取り上げた。参考書なんて名ばかりの、趣味の産物。
 本人は恐らく、ほんのお遊びでこれを書いたのだろう。溜息をついて、鞄の中にしまい込む。
 不意に、講師室が何やらざわめいた。

「重そうだな、大丈夫か?」

 そう言ったのは、数学科の山本だ。見ると、スタッフが大量のテキストを運んでいる。
 ふらふらして、かなり危なっかしい。顔は陰になっていたが、綺麗な髪が見え隠れする。

「獄寺君……?」

 声をかけると、彼はすぐに振り向いた。慌ててテキストを棚に置き、こちらに駆け寄ってくる。

「あのっ、先日は送って頂いて、ありがとうございました……!」

 ぴょこんと頭を下げる。どうやら、車で送った時のことを言っているらしい。

「そんな、気にしなくていいよ。仲良くなりたかっただけだし」
「カッコつけんな」

 何故かリボーンに頭を叩かれた。乱暴な奴だ。
 そんな二人の様子を見て、獄寺が不思議そうな顔をした。

「ああ……コイツはリボーンっていって、ウチの社長」
「え!?」

 獄寺は素っ頓狂な声を上げた。驚くのも無理はない、見た目はただの赤ん坊なのだ。

「す、すみません! 何も知らずに……!」
「大丈夫大丈夫。社長っていうか、マスコットに近い奴だから」
「偉そうに言うな」

 今度はグーで殴られた。後頭部にクリーンヒットして、ちょっと涙目になる。
 リボーンは獄寺の方に向き直り、面白そうにじろじろ見つめた。

「しっかり働いてるみてーだな。お前、飯は食ったのか?」
「いえ、今日は昼抜きです」

 そのあっさりした口調に、沢田は驚いて顔を上げた。

「何で? まさか、ダイエット……?」
「そういうわけじゃないんですが……食べるの面倒臭くて」
「ちゃんと食べなきゃダメだって! 体壊すだろ!」

 思わず、立ち上がって彼の肩を揺さぶった。掴んだ感触が細い。
 ひょっとして、家でもマトモに食べてないのだろうか。何だか心配になってくる。

「獄寺、ここで一緒にピザ食ってけ」

 リボーンが出し抜けに言った。多めに頼んだから、一人くらい増えても構わないという。
 獄寺は目を丸くしたが、「じゃあ、御言葉に甘えて……」と小声で答えた。
 他でもない社長の言葉では、断りにくいのも頷ける。

「あ、すぐに片付けるよ!」

 沢田は広げていた荷物を押しやって、獄寺のためのスペースを作った。
 わざわざ悪いと思ったのか、獄寺はひたすら恐縮している。

「いいんだ。リボーンと二人きりより、よっぽど楽しいし……」

 うっかり本音が漏れて、今度はリボーンの蹴りが入った。
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