体育祭の練習が始まる。
午後の授業がなくなり、その時間が準備にあてられるのだ。
生徒たちは皆浮き足立って、昼休みから既に校内は興奮に包まれている。
ましてやイベント好きのダンテは、当然ながら人一倍浮かれていた。
「ダンテ、一緒に購買行かない?」
教科書を鞄に放り込んでいると、ロミオが話しかけてきた。
ロミオとは部活が同じで、昼休みも一緒に過ごすことが多いのだ。
「何だお前、まだ買ってないのか? おいらはさっきの10分休みに買ってきたぜ?」
「そうなの!? わ、じゃあ急いで行ってくる!」
「転ぶなよ! 噴水のトコで待っとくから」
慌てて駆けていく彼に苦笑しながら、ダンテは鞄を閉めた。
(さーて、どこで食べるかな……)
外回り廊下に出て噴水に向かいつつ、考えを巡らせる。
食堂に行く必要はないし、人が多いのでなるべく避けたい。
かといって教室に戻るのも気が進まなかった。
最近ずっと乾燥気味で、チョークの粉が充満しているからだ。
(人が少なくて清潔な場所、ね)
一つだけ思いついた。生徒会室である。
役員のダンテはともかく、ロミオがそこで昼食を取るのは少し問題だ。
でもまあ、誰も文句は言わないだろう。
噴水の前まで行くと、ロミオがこちらに走ってくるのが見えた。
待たせたら悪いと思って、全速力で買ってきたらしい。
ところが。ロミオは何故か途中で立ち止まった。
誰かに話しかけられたようだ。すらりとした、赤い髪の男子生徒。
「あれって……リナルドじゃねえか!」
‘狼’の仲間である彼が、ロミオと何を話しているのか。
心配になったダンテは二人の所に駆け寄った。
しかし、用が済んだのか、リナルドはそのまま去ってしまった。
「あ、ダンテ! 待たせてゴメン」
「……お前、リナルドと何話してたんだ?」
「え? 特に話はしてないけど……コレを貰ったんだ」
そう言ってロミオは一粒の飴玉を見せた。
「はあ? 何で?」
「この前、リナルドがお腹空かせて廊下でへたり込んでたから、焼きそばパンをあげたんだ。
そのお礼だってさ」
「……へえ」
小公女セーラか、コイツは。
それに、焼きそばパンのお礼が飴一個って、何かおかしいと思わないのか。
というか、空腹でへたり込むリナルドもリナルドだ。子供じゃあるまいし。
「あ、この飴玉おいしい!」
色々と言いたいことはあったが、ロミオ本人が気にしていないようなので、
ダンテは放っておくことにした。
×××
生徒会室に行こうと告げると、ロミオは最初ためらった。根が真面目なのだ。
適当に言いくるめて本館の校舎に入る。
生徒会室は涼しいし、二人なら広々と使える。ダンテとしては逃す手はなかった。
「体育祭の準備で、生徒会は忙しいんじゃないの? いいの、そんな所で弁当食べて」
「忙しいのは三役と、あとは運営委員の奴らだ。多分誰もいないから食べてて大丈夫だって」
体育祭前は外回りの仕事が多い。
アルフレド、アンジェレッタ、そしてニキータの三役は、この時間だとグラウンドに
出ているだろう。誰にも遠慮はいらないのである。
ロミオも納得したらしく、おとなしく後をついてきた。
生徒会室は廊下の突き当たりだ。ダンテはドアノブを回した。
「おう、おつかれー」
思いがけず、室内から声がかかった。
見ると、白衣を着た少年が椅子に深々と腰掛けていた。
「……ロレンツォ、こんな所で何してんだ?」
生徒会保健委員のロレンツォだ。ダンテやロミオにとっては、部活の先輩でもある。
彼はニヤッと笑って、膝の上の少年誌を指で叩いた。
「読書中だよ、見ての通り」
「生徒会室で堂々とサボりやがって……」
ダンテは呆れて溜息をついた。
ロミオも部屋に入ってきて、咎めるような表情をした。
「ロレンツォ、ちゃんと保健の仕事しなよ。ビアンカが怒ってたよ?」
「お、ロミオじゃん。相変わらずプニプニのほっぺしてんなー」
ロレンツォは少年誌を置き、ほっぺたをつつく真似をする。
「もう、真面目に聞いてよ」
ロミオは顔をしかめた。ロレンツォ相手だと、ロミオはからかわれてばかりなのだ。
「そういや、さっきまでここで、赤毛の女の子が部屋の整理してたぜ?
あれって何、誰かの彼女?」
「知らないのか? 新しい書記だよ、ニキータっていうんだ」
意外と情報遅いんだな、と呟きながら、ダンテは椅子に腰掛けた。ロミオもその隣りに座る。
「ああ例の……。てっきり、アルフレドがまたタラシ込んできたのかと思った」
「いやまあ、それに近いんだけど……」
頭を掻きつつ、室内を見回してみた。
散在していたプリントがファイルにまとめられているし、本もきちんと並べられている。
転校早々、噂の人物となったニキータだったが、今ではすっかり落ち着いて書記の仕事を
こなしていた。
(何だかんだ言って几帳面なんだよな、アイツ)
きれいに整理された部屋を見て、口元に笑みが浮かんだ。
「ダーンテっ、そのウインナー1個プリーズ」
不意に、ロレンツォがこちらに身を乗り出してきた。
「却下。後輩にたかるなよ」
ダンテはきっぱり言って、奪われないように弁当を手元に引き寄せた。
「ちぇっ……じゃあロミオ、その唐揚げちょうだい」
「仕方ないなー……」
「いや、仕方なくないから! ロミオお前、やっぱ甘すぎ!」
二人の間に割って入ると、ロレンツォが声を立てて笑った。
「全くもう、お前って奴は小公女病か!? さっきはリナルド、今度はロレンツォ……」
「へえ、リナルドにも唐揚げ恵んでやったの?」
「リナルドには唐揚げじゃなくて焼きそばパンだよ」
「どうでもいいってそんなことは! お人好しも大概にしとかないと、悪い奴に
付け込まれるぞ!?」
すると、ロレンツォがひらひらと手を振って見せた。
「ムリムリ、今更直せないって。この間なんか猫に弁当取られたもんな、ロミオ?」
「は……?」
ダンテは目を丸くした。ロミオは気まずそうにロレンツォをにらんだ。
「誰にも言わないって約束したのに……」
「え、何それ、ホントの話か?」
ロミオはしぶしぶといった様子で口を開いた。
「弁当食べようとしたら、すぐ横で猫がこっちを見てたからさ……卵焼きを一個あげたんだ。
そしたら……」
「何を思ったか猫の奴、仲間をいっぱい連れてきちゃったんだよな」
「……それで?」
大体予想がついたが、ダンテは先を促した。
「だって仕方ないだろ……皆エサが貰えると思って、期待した目で見上げてくるから……
弁当丸ごと猫たちにあげたよ」
ダンテは何度か瞬きをして、ばたりと椅子にもたれた。
「お前、バカだよな……」
「な、何だよバカって! もう、だから言いたくなかったのに!」
ロミオはすねてそっぽを向いた。ロレンツォが笑いながらロミオの肩を叩いた。
「悪い悪い、ちょっと口を滑らせた。それよりロミオ、頼みたいことがあるんだけど」
「……ロレンツォの頼みは聞かない」
ロミオは素気なく答えたが、ロレンツォは勝手に話を続けた。
「ほら、このジュース、三役に届けてくれよ」
そう言ってテーブルの上を指差す。数本の缶ジュースが置いてあった。
「ロレンツォからの差し入れ……なワケないか。誰が?」
「さあ、ファンが持ってきたんだろ。アルフレドもアンジェレッタも、やたら人気あるしな」
ロレンツォは肩をすくめた。成程とダンテは納得した。
「差し入れかあ……アルフレドたち、頑張ってるもんね」
「そ。多分まだ昼飯も食べてないんじゃないか? 喉も渇いてるだろうから、
コレ持って行ったら喜ぶだろーな」
ロレンツォの言葉に、ロミオはぱっと顔を輝かせた。
「分かった! 届けてくるよ!」
ロミオはジュースを三本持って、生徒会室から飛び出した。
「結局パシられてやんの」
ぼそりと呟く。ロレンツォがふっと目を細めた。
「いいんじゃない? ああいうの見てると、何か優しい気持ちになれるよ」
「……その割に全然優しくないけどな」
パシった本人が何言ってんだ。ダンテは横目で軽くロレンツォをにらんだ。
(でもまあ、ロミオはあのままでいいのかもな……)
ああいう奴はめったにいないし、貴重だよな、とダンテは思う。
実際、ロミオは誰からでも好かれる少年だ。
救われる気がするのだ――人の持てる素直さの限りを、惜しみなく与えてくれる存在。
ダンテは「ちぇっ」と笑いながら、二人分の弁当のゴミを片付けた。
×××
「アンジェレッタ、大丈夫? 少し木陰で休んできたら?」
ニキータが心配そうにアンジェレッタの顔を覗き込んだ。
「ううん、平気よ」
アンジェレッタが笑顔で答える。
このやり取りも数回目だ。アルフレドは微笑ましく思って聞いていた。
ニキータは勝気な少女で、自分では決して弱音は吐かない。
その分、他人の世話ばかり焼くタイプなのだ。
少し体の弱いアンジェレッタのことを、ニキータはいつも気遣っていた。
(何だか姉妹みたいだな)
優しく思慮深い姉と、世話焼きでしっかり者の妹。
というより、ニキータのイメージが'妹'なのだ。
意地っ張りな彼女を見ていると、いつも妹のビアンカのことが頭に浮かぶ。
「あとは業者連絡だな……ニキータの言う通り、この辺で少し休もうか」
グラウンドで長いこと日に当たっていたから、そろそろ休憩も必要だ。
アルフレドは二人を促した。
「おーい、アルフレド!」
三人は声のする方に振り向いた。
校舎側から駆けてくるロミオの姿が見えた。
「ふう、やっと見つけた!」
「ロミオ……どうしたんだい?」
「ジュースを届けにきたんだ。ええと……詳しいことはロレンツォに訊いて!」
よく分からないが、差し入れということらしい。
息を切らしているロミオに、アンジェレッタが微笑みかけた。
「どうもありがとう、ロミオ」
「あ、久しぶりだね! ……ええと、このジュースどうしよっか? まだ仕事中?」
「いや、ちょうど休憩しようとしてたところだよ」
アルフレドは笑って、ロミオの手から缶を受け取った。
ロミオは残り二本を少女たちに配った。
「ロレンツォに会ったのか……生徒会室で読書してただろう?」
「う……ううん、保健の仕事もしてるみたいだったよ」
「ロミオって嘘下手だな」
ニキータがずばりと言った。ロミオはぐっと言葉に詰まった。
「何だよ……じゃあニキータは嘘に自信あるのか?」
「ああ、あるね」
ニキータは涼しい顔で言う。
「そんなに言うなら、何か嘘ついてみせてよ。絶対だまされないから!」
「……最初から嘘って分かってたら、だまされる奴なんかいないって」
アンジェレッタがくすくすと笑い出した。アルフレドも堪えきれずに笑った。
ロミオはまっすぐだ。
損得を考えず、良心のままに動いてしまう。だからこそ、周囲に確かな安らぎを与えるのだ。
そう感じるのはアルフレドだけではないだろう。
誰にとってもロミオは、疲れた羽を休める止まり木になる。
「……あっ、次はクラスで集合なんだ。もう行かないと」
腕時計に目を遣り、ロミオは立ち上がった。
「そう、じゃあ急いで……ロミオ、届けてくれてありがとう」
「うん、それじゃまた!」
また駆けていくロミオの後ろ姿を、アルフレドはしばらく見送っていた。